top of page
  • 執筆者の写真: SATO RYOJI
    SATO RYOJI
  • 2025年12月28日
  • 読了時間: 2分

妄想の遊び、今回はそんな物書きをします。人間内科担当大臣を決めようと思う。臓器、骨、神経それらから更に分岐する自分の体の中の役職たち。身体は菌や細胞の集合体「コロニー」で人型の団体運動だ。各部位の情報処理を私はどう思っているのか?とよくよく意識してみた。そうでもしないとこの個体とは?この固体、塊とは?もしくはこの世で一時的に存在できている我が身を、砂がサラサラ崩れている最中のものを大事に扱っているのかと、心許ない。結構それで合っているのかもしれないが、真実だという情報を見つけ出すことが表現家の仕事ではないはずなのだ。今はこういうことに核心を探す苦しみなり煮え切らない悩みなりが表現家という生き物を成して良いだろう。そのはずだ。少し前のブログで私は身体を魂とは剥がして別個に主張するものと書いたと思う。「主張の激しい生きたがり」だと。それは免疫として身体の異常を外へ排除しようとする動きは過剰防衛だという話だったりしたか。ただ生きる目的に対して止めどなく流れるエネルギーだったと思っている。このような感覚を社会が培ったものというよりか、そもそも自然の中に備えられた勢いの中で生命というジャンルの蓄え、ポテンシャルだと思った。地球規模のものが自分の中に流れているかけがえの無い証拠だ。身体の各パーツは今日も明日もその流れを滞りなく流し続けているのだろうか。他生命体や空気の中でさえ、浮遊する微細なスケールの中にさえあり、人はとても濃く滞留するスポットのよう。別の形に吐き出す際にスムーズに流れ出す。人間内科担当大臣は意外にも私のものでさえ、自分自身の所有物と実は呼べないのかもしれない。凄く大きなスケールの中で発生する役割、それが身体の中に埋まっていて、人間という入れ物に合うよう造形されている。そんな気がした。

 
 
 

最新記事

すべて表示

コメント


bottom of page