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  • 執筆者の写真: SATO RYOJI
    SATO RYOJI
  • 2025年12月31日
  • 読了時間: 2分

ガラテア四号についての考察をしています。三号の制作が実は済んでおり、その経過も踏まえ、身体という物の捉えかたがここ数年の制作により変異しました。以前は超精密機器、高性能。人とはその構造にオーバーテクノロジーを抱えた肉の塊だと捉えていました。ただ細胞や菌のレベルに、もしくは更に細かく分解した理解によって人をみたとき、超高密度な密集体や人という体をなしたコロニーであると考えられます。空気の上を漂う飛沫であっても変わらないのかもしれません。ただ世界の中にそれを留めるスポットの一つとしてあるだけ。コロニーを形成する生物や現象は数多くあります。私や他の人間たちは何をもってこの世にあるのか?ここが今後の四号を考察する上での核なのではと考えています。構造としてより多くの関節がある生き物はクッション性に優れていて、危機への備えがあります。関節ではなく、それが個々を認識できる集合体であればどうでしょうか?より生存へ向けた濃い行動を取れるのでは。その一つの目的に対して優秀であることが良いのだと思います。柔軟に目的を選べることが生物構造にとってベストではなく、多くを含めることができる目的を視野に捉えている構造であるかといった部分かもしれません。「生きる」に焦点を当てた場合の人間はどうでしょうか。長生きであることが特筆される生き物でもないと思っています。文化的な面は長所でしょう。ただ生きるのではなく、そこに楽しみや感情的な熱を生み出す。情報を後世に残すために、進化圧をかける素材を託すための工夫かもしれません。そう感じています。ガラテア三号までの軌跡はアピールや巨大化といった道でした。これからもその路線の進化をしていくでしょう。5メートルはそのうちいくだろうと思っています。ただ今後のバックナンバーはそこへプラスするアプローチを選ぶことでより思想や創作研究への揺さぶりをかけるつもりです。来年はより活発な活動をば。

 
 
 

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