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  • 執筆者の写真: SATO RYOJI
    SATO RYOJI
  • 7月16日
  • 読了時間: 2分

最近は自分の作家人生について考えることがあります。「これまで」ではなく「これから」についてです。日本で、社会で生きるのに振る舞いの苦しさを多少感じていて、世の大体の人がそれぞれの理由で思っていることだろうが、私のパターンを書いていきます。あまり面白くはないけれど、考えて備えたり乗り越えれる程度に強く精神を育てたいです。

現代芸術家の大半は副業をしなければ生活も厳しい。社会的な地位や経済力は本当に一部の人間のもので、そう言った部分からの弾かれものだから作家になっている才能も多いと思います。だからグレーなことや社会に切り込むことには実感のこもったことができるし、人生を賭けてのチャンジも辞さないだろう。私も同じ気持ちなのですが、その結果として私は真に自由になりたいのです。国の法にも、人間の社会にも縛られない身になりたい。そうして穏やかに暮らしていきたいのです。私の扱うテーマのグレーゾーンは「倫理観」なのですが、もう一つ踏み込むことは果たして許されるのでしょうか?

人が人を縛っている。もしくは自分の認識で勝手に縛っている。社会を感じるほどその気を強く感じます。大衆の望みに気を配っても、界隈の常識に合わせても表現の中にある自由を妨げている気がしてなりません。中途半端だと嫌悪していて、もうすぐ決断しなければならないタイミングが来るだろうと思っています。この自問自答を含めて芸術家という生き物らしいと思っていますが、そういう自分に酔うことは単なるポーズにしかならないのでしょう。詰まるところこの話は言葉にするのに向いていないのです。

 
 
 

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